特集/2003年8月

大正水着ギャル

古い写真集をめくっていると、大正から昭和初期の水着ファッションに出会います。高畠華宵描くところの浜辺の少女の海水着はういういしくてとても魅力的ですが、写真の女性達となると、どうも素直に「かわいい!」とか「素敵!」とか言えるものは少なくて・・・一般女性と言うより、新作水着やビーチコートの宣伝用にモデル撮影したと思われる写真や女優のプロマイド写真が多いのですが、現代のモデルとは大違い。全体に太めでむっちりタイプが多いのは当然として、やせた人でもお腹がぽこっと出ていたりかなり短足だったりして・・・だからと言って魅力がないかと言うとそうでもなくて、妙なお色気があったりします。水着以外の小物がやたらと多いのも不思議です。どう見ても暑苦しいビーチコートには、毛糸で編んだひもとボンボンがついてるし、ビーチキャップにはばかでかいリボンがついていて、「これは泳ぐ気なんかさらさらないな・・・」と思ってしまいます。たいていのモデルが、パラソルではなく桜の絵かなにか描いてある紙製と思われるオモチャっぽい日傘をさしているのも面白く、これはきっと当時の海の家なんかで売ってたものかなと想像しています。

女優では夏川静江、入り江たか子、マキノ智子等モダンガール達の水着写真がよく登場しますが、夏川さんはまあまあとして他のお二人のはどうみても「ただのおばさんの危ない写真」にしか見えず、(往年のファンの方ごめんなさい。)どうどうとサインいりブロマイドなんかになっているのがとても不思議です。
 でもこの不思議がいっぱいの「なんかださいんだけど妙な味と言うか色気がある」というのが、水着写真に限らず、この大正から昭和初期という時代の魅力で、それに囚われているからこそ絵にして再現してみるという形でその正体を探求しているしだいです。
 現代の水着モデル達のボディのように洗練されたバランスのとれたものは、全ての人が安心して見られるけれど、色気(=見てはいけないものを垣間見た時のどきどき感)を失ってしまう・・・これが今のとりあえずの結論です。ボッティチェルリのヴィーナスの洗練されたプロポーションよりもクラナッハのヴィーナスの華奢すぎる体とポッコリ出たお腹に惹かれてしまう私です。適度な泥臭さをなくさないようにしようと思っています。

海辺にて

浜辺